脱原発

東電は今回の原発事故の収束見通しの工程表を6ヶ月乃至9ヶ月と発表した。政府の圧力にそう言わざるを得なかったのだろう。政府としても工程表がなければ復旧計画の策定が出来ないし人心は安定しないのだろう。問題は見通しの根拠である。壊れた4基の原発の冷却系を修復または仮設出来ないかぎり収束はあり得ない。しかし二ヶ月近くを経過した今でも高濃度の放射線のために原発の建屋に人が入ることすら出来ていない。今やっていることは外部から水をかけ続けることだけである。これによって大量の放射能汚染水が溢れ続けその処理に窮している。高レベルの汚染水の量は何十万トンにもなるという。漏れ出した放射能は大気、海水、地表、地下水を汚染し続けるだろう。このままだと原発燃料の大部分がなしくずしに燃え尽きるまで水を掛け続けることになりかねない。最悪の想定は今一度大規模な余震が起こって津波が再び襲ってくることだ。そうなれば原子炉は大爆発を起こし放射能は東日本全体を汚染するだろう。

長い間続いた自民党政権の下で推し進めて来た原子力政策が安全神話を生み人々を洗脳して今日のこの事態を引き起こした。この小さな地震列島日本でそもそも原発が安全に運転出来るのか、あまりに甘い想定で建設が進められて来た結果と言わざるを得ない。事実今回の津波に匹敵する三陸津波は1896,1933年に発生している。それを想定外に置いたのは理解出来ない。中曽根首相の下で通産大臣として原子力政策を進めて来た与謝野現経済財政政策担当大臣はそれでもこの原子力政策は間違いではなかったと反省の色もない。一体彼等の想定はどんな根拠に基づいて行われたのだろう?恐ろしいことに今や日本全国の海岸線に54基もの原発がある。それらは皆福島と同じ危険を抱えている。でも信じられないことにもうすでに自民党の中の原発推進派は原子力政策維持の強化を画策し始めているという。

最近のメディア世論調査によると現在日本で原発の廃止乃至縮小を望む人は約40%だという。残りの60%は現状維持又は拡大ということになる。如何に空虚な安全神話が深く人々に浸透しているか、如何に一度味わった豊かさに人々が虜にされてしまうかを物語る数字である。石原都知事も風や太陽で間に合うわけはない。原発は必要だと公言して憚らない。原発はコストが安いという人もいる。しかし果たしてそうだろうか?今度の事故による巨額の損失、復旧費用、さらに時間、空間および人の生活の喪失を考えれば答えは明白だろう。

飛行機が発明された時それは危険な乗り物だった。しかしそれを乗り越えていまは誰もがそれに乗る時代になったと言う人がいる。しかしいったんコントロールを失えば原子力は危険の規模が飛行機事故とは比べようがないほど大きい。被害は局地的でなく国境を越えて地球規模で拡がり、しかも影響は何十年も続く。チェルノブイリ、スリーマイルス島、それに今度の福島の事故がそれを教えている。

間違いなく今世界は核兵器廃絶を超えて脱原発の時代を迎えている。それを可能にするのは太陽光、バイオマス、水力、風力、潮汐、地熱など再生可能の自然エネルギーの利用技術の開発である。例えば太陽エネルギーについて考えてみよう。。コストや効率の問題は残されているがすでに実用化の時代に入っている。光合成の名で知られるように植物は太陽光を使って年間2000億トンもの炭水化物を効率的に作っている。そのうちの80%は最も原始的な生物、海洋プランクトンによるものだという。彼らは太陽光のエネルギーを使って水分子から電子を引き抜いているのだ。35億年も前に生まれた単細胞の生物が作った仕掛けが人間に出来ないことがあろうか。地球の生物は太陽のエネルギーに依存して生まれ進化して来た。将来もその道を辿るのが自然である。自然に優しいとはそういうことだと思う。

今野党のみならず与党の中でも政争がらみで大震災への菅政権の対応の遅さ、不手際を非難する声が大きい。単に批判することは易しい。未曾有の災害に迅速適切に対処することは難しい。しかしこの困難を乗り越えて安心安全な国家を根底から作り直すには脱原発が前提とならねばならないだろう。現政権には大災害を転じて大きな改革への好機と捉える気迫を見せてもらいたい。自民党を始めとする各野党には自分達の推し進めてきた原子力政策が間違っていた事をいさぎよく認めそれに代る政策を打ち出して現政権を批判してもらいたい。