原発再稼動の愚

関西電力大飯原発の再稼動が取り沙汰されている。一体そんな事があって良いものだろうか?

第一に安全性の保証がない。政府の中枢はストレステストで安全性を確認したということだが、大飯原発福島第一原発に比べて何処がどう安全なのだろうか? 具体的な説明は何もない。聞くところによると福島第一で曲がりなりにも事故対策の拠点となった免震重要棟すらないという。福島では役立たずだったオフサイトセンターはちゃんと機能するものがあるのだろうか? 防波堤の嵩上げは25年度に出来るというがその間に津波がないとは保証されていない。免震事務棟やフィルター付きベント装置他の安全対策はなんと27年度に予定されている。安全対策は先送りで再稼動は妥当とは理解できない。原発へのルートは山を削って作った一本の道路しかない。素人目にも地震による山崩れで道路いや原発そのものも危ないと感じる。


第二に独立した原子力規制庁がまだ出来ていない。IAEAの査察でも槍玉に上った経産省所属の札付きの原子力安全・保安院が監査をするなんて到底考えられない。その有害無益な存在は福島の事故で証明済みである。

ところがどうもいま政府の中枢は何としても再稼動をしたいらしい。「再稼動しないと日本は集団自殺だ(仙石)」とか「一瞬、日本の原発はゼロになる(枝野)」とか国民を脅し惑わすような発言が政府要人の口から飛び出して来る。彼等には権益擁護のための原発再稼動のプレッシャーが電力関係組織や経団連からかかっているのだろうか。それに屈することこそ政府の集団自殺である。

大飯原発の再稼動がないとこの夏に一昨年のような猛暑が来ると18%なにがしかの電力不足が起こるというがこれは関西電力の試算であってそのままうのみに出来るものではない。それは恐らく真夏のある日の午後、最悪の一瞬の想定だろう。行政は第三者機関による独自の調査で信頼に足る数字を出しその内容の詳細を国民に公開すべきである。そして原発なしでどう乗り切るかをあらゆる面から考え、その方法を提示し国民の協力を要請する。それが政府のやるべき仕事である。国民はそれが納得出来るものであれば不便を凌いで協力するだろう。昨年夏の関東首都圏の人々の行動を見ればそれは明らかである。その方が原発事故の不安に怯えて生活するよりも余程賢明である。ここで再稼動を認めれば将来的に脱原発依存は大きく後退するはずである。一方ここで省エネ技術や再生エネルギー技術を徹底的に追求することは地球温暖化への対策として将来的に有益である。

最近の世論調査では町の経済生活を全面的に原発に依存している地元のおおい町を除いて周辺の福井、京都、滋賀、大阪で圧倒的に再稼動反対だった。この住民の判断は正しい。原爆の悲惨、原発の怖ろしさを体験した日本人として当然のことである。福島の事故はまだ収束にはほど遠い。収束にはまだ何十年の月日と莫大な費用と将来じわじわと起こるであろう健康被害の可能性すら孕んでいるのである。今も福島第一原発からは放射能が毎日撒き散らされているのだ。再稼動の暴挙を絶対に許してはならない。

福島原発事故独立検証委員会 調査・検証報告書

福島原発事故独立検証委員会 調査・検証報告書