天の命ずるままに 生物発光と半世紀

昨年10月に「ノーベル賞雑感」を書いたが昨日ノーベル化学賞下村脩さんの講演を聞く機会があった。標題は講演のタイトルである。講演会は化学関係の三学会と朝日新聞社の共催で東京国際フォーラムで行われた。お隣のビックカメラでは折からのWBCの決勝戦のテレビを見る人だかりで大変だった。

下村さんは私と同世代だし研究の分野も近いので私は特別関心が深い。原爆の長崎で終戦を迎え苦労して長崎医科大学で薬学を学んだ。分子生物学を志して教授に伴われて名古屋大学に江上不二夫先生を訪ねたが不在でたまたま立ち寄った天然物化学の平田義正教授が勘違いで受け入れてくれたと言う。これが発光生物との出会いだと言うから偶然の悪戯に驚く。

平田研究室で海ホタルの発光物質ルシフェリンを結晶として取り出した時の感激を述べられたが、これがきっかけでプリンストン大学のジョンソン教授に招かれフルブライト留学生として渡米し、ここでオワンクラゲの発光機構と取り組むこととなった。ジョンソン教授はこの発光もルシフェリンとルシフェラーゼによるものと固く信じており平田さんはこれを取り出すことを命じられたのだが、下村さんはどうしてもそれを取り出すことが出来なかった。そこで下村さんは原点に立ち戻り素直に一から光るものを取り出すことにして新しい発光タンパク質エクオリンとその脇役であるGFP(Green Fluorescent Protein 緑色蛍光タンパク質)の発見に辿りついた。この間ジョンソンとは気まずい関係になったと回想している。研究には時に思い込みや固定観念から離れ自由な発想を持つことが大事であることを示唆していると思う。

GFPそのものは発光しないがエクオリンの出す青い光を緑に変換するのがGFPで紫外線によって発光するこの性質が後に生物、医学分野で細胞や組織の標識に利用されるようになる。そのためにGFPが持つもう一つの重要な性質は発色団(発色に直接関わる低分子構造部分)がタンパクのペプチド鎖の中に組み込まれている事だった。通常はタンパクと発色団は別分子で一緒にくっつき合って始めて発光する。GFPではタンパクの中のセリンとチロシンの部分が自己酸化により環状になって発色団を形成する。 この特徴的な構造のため後にGFPの構造遺伝子をDNAに組み込み生体内で発現することが可能になったのである。現在ではこの発色団の構造を変えることで緑だけでなく赤や黄の色んな光を出す事が出来るという。

下村さんは最初の渡米から3年後にいったん日本に帰国している。名古屋で保証されたポジションも悪くはなかったらしいが発光の研究を続けるには難点があったようで再渡米を決意している。随分迷ったが誰もアドバイスしてくれる人はいなかった。最後に奥さんに聞いた。奥さんが行くと言ってくれたので決めたと言う。人生の伴侶とはそういう人なのだろう。

意外にも半世紀もアメリカにいたのに下村さんはご自身で英語が苦手だと言う。80歳でも自宅に実験室を構え研究を続けている。好きだからやるという衰えぬ研究意欲にも驚くがアメリカの生活基盤の強さも羨ましい。日本にも未練はお持ちのようで、でも大学は雑用が多いから行きたくない。日本だったら良くは知らないが理研理化学研究所)のような所が良いと言う。アドミニストレーションとは無縁の根っからの研究者なのだなあと思う。キノコの発光物質をやるのが次の夢だったが受賞で忙しくなりその夢は叶いそうもないと嘆いていた。

標題の「天の命ずるままに・・・」の”天”はNatureだと言う。 Let's learn from mother nature ! 我が意を得たり。


当日はWBCの決勝戦とかち合ったにもかかわらず会場は若い人たちで満席だった。「難しいことに挑戦して最後まで頑張れ」というのが月並みのようだが若者に対する下村さんのメッセージだった。スマートで目を引くような研究に流れがちな最近の風潮に一老研究者の言葉は重かった。