チリ津波

2月28日チリ津波が日本を襲った。奇しくも昭和35年のチリ津波から丁度50年後である。あの時は我々夫婦が結婚した年だった。当時は4畳半一間の新婚生活だったし勿論テレビも無かったから鮮明な記憶はないが、遠く地球の裏側から津波が到達するという事実に驚いた。気象庁もまったく予報が出来ず三陸地方の住民は6月24日未明にそれこそ寝耳に水の襲来を受け142名もの犠牲者を出したのだった。

さすがにこの経験を踏まえかつコンピュータ予報技術の進歩もあって今回の気象庁津波警報は迅速丁寧だった。ただ津波の大きさについての予想が実際よりかなり大きかったことについて気象庁は謝罪を表明したという。私はそんな必要はさらさら無いと思う。むしろ過小評価の危険の方がはるかに罪深いと思うからである。

警報に対する住民の対応には大きな問題が残された。避難所に避難した人はたった6%だったと言うし、第二波、第三波の危険が伝えられているにもかかわらず比較的小さな第一波が観測されると過半数の人は帰宅してしまったという。喉元過ぎれば暑さを忘れるのが人の性か、過去の苦い経験が少しも生かされていない。もっと驚くのは警報の出されている地区で1100人を超すビッグウェーブを期待するサーファー達が避難の呼びかけを無視してサーフィンをやっていたという。無知無謀、自己本位とはこのことだろう。

小さなことだが警報の出ている長時間にわたってテレビ(NHK)では派手に赤黄の点滅する大きな日本地図を流し続けた。周知徹底を図ったものだろうがいささか目障りだった。もう少し目に優しい工夫があっても良いのではないか。

バンクーバー冬季五輪雑感

猪谷、ザイラーの時代から私は山スキーに親しんでいたのでスキーの出来なくなったこの齢になっても冬のオリンピックに関心は深い。私はこのところずっと病床にあってテレビ観戦の時間はたっぷりあった。と言うかテレビ観戦で病気の憂鬱を紛らわすことが出来た。病院の待合室でも患者達はテレビに釘付けになっていた。高橋大輔の4回転ジャンプ転倒シーンではキャーと悲鳴があがった。でも彼は立ち上がって堂々とその後の演技を続けた。

延々3時間に及ぶ開会式は退屈だった。やたらにショーが多すぎるし、こんな時に限って先住民族イヌイットを持ち上げて見せるところに侵略者の偽善と優越を感じた。日本のアイヌも同じだが彼等は後から来た侵略者に土地を奪われ生活の基盤を失った被害者である。ショーの材料にされるのを果たして喜んでいるだろうか。

銀メダル3、銅メダル2、世界20位の成績はまあ私の予想に近いものだったが、100人近い大選手団に見合った数字かどうか人によって意見は分かれよう。そこへ行くと韓国の好成績には驚くばかりである。日本の半分以下の選手で金メダル6を含む14個のメダルを取った。しかしよく見ると選手はスケートに特化しており、他種目にはほとんど出場すらしていない。その背後には組織的、国家的な戦略があるように見える。スポーツだから能力を競うメダル競争は結構だが、それが国威発揚に繋がってくるとスポーツ精神にそぐわない。かってのナチスドイツのベルリンオリンピックを思い出してもみよう。石原都知事が今度の日本選手の成績を評して金メダルでなければ意味がない。取れないのは国を背負ってないからだと言ったそうだが、そうした考え方で東京オリンピックの招致(失敗)に500億円もの大金を使ったというのは恐ろしい。

ともあれ大きな感動と希望を残してオリンピックは終った。参加した選手も声援を送った観客(テレビ観戦者も含めて)も世界の絆を深め合ったことだろう。本当にスポーツって良いものだ。テレビ観戦を通じて集中して全力を尽くす人の美しい目と美しい姿に見惚れた。カーリングストーンを投げる時の澄んだ女子選手の目、一糸乱れず編隊を組む女子団体追い抜き戦(パシュート)のカモメのような女子選手達の姿、それにたとえ金は取れなかったにせよ全力を出し切った者だけが見せる清々しい笑顔、そんな姿が私の目に焼きついている。

トヨタクライシス

どうしたことだろう?去年の夏レクサスのアクセルペダルにフロアマットが引っかかって起きたアメリカでの死亡事故に端を発したリコール問題にもたついている間に次々に連鎖反応を起して世界中の複数車種のアクセル、ブレーキ、ハンドルにまたがる大規模なリコールに発展してしまった。アメリカ国内でのトヨタに対する非難は想像以上のものがあるらしい。

日本ではあまり問題が無いところを見ると現地調達の部品の品質に問題があるらしい。しかしそれは勿論トヨタの品質管理のミスである。日本に司令塔を置いてあぐらをかき海外の現地の状況やユーザーのの声にはあまり耳を傾けて来なかったのではないか。現地での対応に慢心や人任せはなかったか?言いかえれば企業のグローバル化に安易に対応して来た結果なのではないか。

新型プリウスのブレーキ設定の不具合は日本でも起きた。技術担当常務の説明は当初「お客さんのフィーリングの問題」とかたづけ不具合を認めなかった。車に合わせろと言っているように聞こえた。こんなところに王様トヨタの慢心が見て取れる。貴重なユーザーの声は製品の品質改良に生かすのがメーカーの取るべき鉄則である。

アメリカでもトヨタの対応は非常に悪かったようだ。リコールに手間取った上、豊田社長はアメリカ議会の公聴会には出ない。北米トヨタのトップにまかせ自分は日本でバックアップすると言っていた。米議会がこれに怒り召喚状を出すにいたりついに行かざるを得なくなったようだ。この状況ではあちらでのバッシングが思いやられる。本来問題が起こった時すぐにでもアメリカに飛んで対応すべきだった。企業のトップとして危機管理能力が欠けているとしか思えない。

トヨタが世界の信頼を取り戻すにはこれから長い年月と地道な努力が必要だろう。せっかく世界に冠たるハイブリッド技術で先駆けたと言うのに。

党首討論に晴れ間あり

12日鳩山内閣になって始めての党首討論会が行われた。相も変らず質問は政治とカネの問題に終始しうんざりさせられた。でも終盤「あれ!」と思わせる場面があった。

鳩山さんがしつこく追求する自民党の谷垣さんに逆提案したのだ。「企業・団体の献金を全面的に禁止しないといけない。そのため谷垣さんも努力してほしい」。谷垣さんは「問題をすり替えている」として回答を避けた。


このタイミングで登場した公明党山口那津男代表は会計責任者への議員の監督責任をより厳しく問う政治資金規正法改正に向けた与野党協議機関の設置と参加を提案したのだ。始めての前向きな問題解決への提案である。鳩山さんは「賛成したい。大いに進めていこう」と踏み込んだ。ほっとする嬉しい瞬間だった。久し振りにすがすがしい議論だった気がする。

谷垣さんはどう感じたのだろうか?自民党に欠けているのはこの姿勢である。これからの与野党の論戦は醜い足の引っ張り合いでなくこのような前向きの議論でありたい。協力があって始めて前進がある。自民党も自分自身の脱皮のための大事な考えどころだろう。

貧すれば鈍す

先週12日の衆院予算委員会における自民党与謝野議員の鳩山さんへの質問には驚きとともに深く失望した。もう少しまともな良識ある人間だと思っていたからだ。ヤクザだとか平成の脱税王だとか口汚く鳩山さんを罵った。それだけでない、1年半も前の鳩山邦夫氏との会話で聞いたぼやきとして「兄貴はしょっちゅうおふくろのところへ子分にやる金をせびりに行っていた。おふくろから貴方は子分がいないわけ?と言われた」という話を暴露した。兄弟の絆を引き裂くようなこの発言は到底良識ある政治家とは思えぬ品格の欠如である。

さすがに色をなした鳩山さんは興奮して「まったくの作り話だ。兄弟と言えども信用出来ぬ。母に聞いてもらっても良い。」と叫んでしまった。

この言葉尻を捉えて自民党の谷垣総裁は90を超える高齢で病院にいる母親の委員会への証人喚問を要求するという。

マスコミには格好の面白いネタだろうが、大切な予算審議を放り出して検察が不起訴とした政治資金の問題に何時までもしつこくしがみつく自民党の姿には首をひねる。政治と金の問題は勿論重要だ。しかしそれはそれなりに適切な場所で冷静に前向きな議論をすべきだろう。

これが先だってまで日本の政治を動かし続けてきた元政権の姿である。「貧すれば鈍す」、これで政権奪回とはとんでもない。投げたブーメランはやがて自分のところに戻って来るだろう。自分はまったく潔白だと言える人が与謝野さんを含めて何人いるだろうか?

台湾トイレ事情

十数年ぶりで海外旅行をした。とは言っても台北三泊四日のパックツアーである。ともかく寒い日本を抜け出して暖かい風に吹かれたかった。そうすればしつこいリュウマチの痛みも和らぐかもしれない。とは言っても長旅では静脈血栓症でもある私はエコノミークラス症候群が心配だ。そんな訳で一番近い南の国、台湾それも台北ということになった。台湾にはまだ行ったことがない。

桃園空港からの出迎えのバスの中で現地のガイドが妙なことを言う。ホテルのトイレで紙は流さず備え付けのゴミ箱に入れて下さいというのだ。なるほどホテルに入ると部屋のトイレの便器の横にビニール袋を入れた大きなゴミ箱が置いてある。でもそれには蓋がない!これに汚物のついた紙を捨てるのはたまらない。しかも便器は日本のように暖房便座でもなければシャワーが付いているわけでもない。仕方なく罪悪感を感じながらも濃厚に物のついた一度目の紙はそっと便器に落とし、二度目、三度目の仕上げの紙をゴミ箱に入れた。トイレットペーパーそのものは日本で使うものと大差はないように見えた。

はてな、何故こんな事をするのか?最近韓国でも同じ経験をしたという妻の主張はこうだった。紙はリサイクルして再使用するのだろうと言う。そうかとも思ったが何となく腑に落ちない。台湾ではそんなに森林保護が徹底しているのだろうか?リサイクルに要する手間とエネルギーは馬鹿にならないだろうに。

帰ってからWebで調べてみた。この事実に関する公式のサイトは見つからなかったが個人的な見解を述べたブログがいくつかあった。総合してみるとどうもこういうことのようだ。つまり台湾では下水管が細く不完全なので紙を流すと詰まる事故があるというのだ。水に溶ける紙の開発で日本ではとっくに解決済みの問題がまだ生きていたのだ。おそらく溶ける紙は使っているだろうが下水管の方に問題が残されているようだ。便器を詰まらせると修理費を請求されるというから大変だ。

それにしてもカルチャーショック、臭い使用済みの紙を蓋もしないでバスルームに置いておくという神経は日本人には理解し難い。これも長い歴史の中で育まれた文化遺産なのかもしれない。今のことは知らないが30年前の中国では公衆トイレには仕切りがなく縁台のようにずらりと並んで腰掛けているのだった。

帰国後妻が友人にこの話をしたら、その友人は戦時中の児童疎開時の体験を語った。その頃は勿論汲み取り便所で人糞は貴重な肥料だった。紙を混ぜると邪魔になるので使用済みの紙(その頃は大抵の場合新聞紙や雑誌)は別にして箱の中に入れていた。その子はそれを知らずにどうしてこの紙は何時も湿っているのだろうと不審に思いつつそれで拭っていたというのだ。

ブログの一つにかって黒い森で有名になったドイツでは環境保護のためにトイレットペーパーをリサイクルしているという記述があった。本当だとすればさすがドイツ、凄いことだと思う。20年ほど前はドイツに何回か行ったがそれには気づかなかった。

最近海外に行っていないので他の国の最近の事情は分からないが日本ほどシャワートイレの普及している国はないように思う。8年ほど前に書いたことがあるがこれは衛生的で健康的で日本が世界に誇れるものだ。もっともシャワートイレのオリジナルはアメリカで発明されたということだが何故かアメリカではあまり普及することがなかった。これも文化の違いだろうか?最近の事情は知らない。

帰路、成田空港でトイレに入った。清潔で快適な空間、暖房便座、シャワートイレ、それに便座に敷く紙まで用意されていた。ああ、日本は良い国だ!

小宮山さんの実験

前東大総長の小宮山宏さんがやった個人的な実験をご存知だろうか?6年をかけて今の市販の技術と製品を使って行った彼の住宅のエコ対策は特に目新しいものではない。外壁断熱、二重ガラス窓、給湯エコキュート太陽光パネル、高効率のエアコンと冷蔵庫、ハイブリッド車などという普通のものである。しかし驚くことにその結果使用した電気、ガス、ガソリンのエネルギー総和が対策前に比べてなんと80%削減出来たというのである。工学畑の小宮山さんだから計算に間違いはないだろう。おまけに騒音も結露も無い快適な生活環境が得られたと自賛する。

勿論これらの設備には相当の費用がかかる。でもエネルギーコストの低減で耐用年数に達するかなり前に回収可能だという。またこれらの設備機器の製造は新しい産業や雇用の創出につながるだろう。

温暖化ガス削減と言ってもそれは産業界の話だとたかを括っている人は多いのではないだろうか?でも実際は世界の消費エネルギーのうちもの作りに使われるのは45%で残りの55%は一般の家庭やオフィス、輸送など人の暮らしに使われているという。だから暮らしエネルギーの80%削減は消費エネルギー全体では55X0.8で44%もの削減率にあたる。

この実験から鳩山さんが打ち出した世界への約束1990年比25%削減は絵空事ではないことが分かる。今コペンハーゲンで行われているCOP15ではCO2削減をめぐって各国の間でかけ引きが取り沙汰されている。ともすればCO2削減を自国への利益誘導の道具に使おうとするエゴが丸出しで浅ましい。とりわけ世界の温暖化ガス排出の40%を占める大国、アメリカと中国が消極的なのは情けない。中国はまともな削減の枠組みに入ろうとしないし、失礼千万にも日本の25%削減は実現不可能な宣伝に過ぎないと非難する始末だ。アメリカは1990年比4%という低い値しか提示していない。ノーベル平和賞受賞の理由の一つにもされたオバマさんのグリーンニューディールとはこんなものだったのか!

小宮山さんの実験は大いに評価され参考にされなければならない。世界の人々に勇気と希望を与えるものだ。日本の代表はこの素晴らしい実験をCOP15で披露しただろうか?

一つだけこの実験データで気になる点がある。それはこのエコ対策に使われた太陽光パネルハイブリッドカー、給湯、冷暖房、断熱設備などの製造・更新に使われたエネルギーの総和である。これらは削減エネルギー80%から差し引かれなければならないだろう。

日経サイエンス 2010年 01月号 [雑誌]

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