原爆と原発

東日本大震災から今日で3ヶ月経つ。福島第一原発の事故は収束のめども立たず日々環境汚染を拡大し続けている。広島、長崎と世界で唯一原爆の惨禍を受けたこの国は66年後今度は自らの作った原発の事故で苦しんでいる。何という皮肉だろう。自分も含めて何という愚かさだろう。


福島の事故を受けてドイツのメルケル首相は2022年までに国のすべての原発を廃止すると宣言した。当の日本はどうか?菅さんは東海地震の予測される浜岡原発の当面の運転中止を中部電力に要請した。それは英断だったと評価したい。でももう一歩踏み込んで何故ドイツのように思い切った全面廃止の決断が下せないのだろう。メルケル首相の決断は賢明なドイツ国民の強い環境意識がバックにあるのだろう。一方地震国日本では効率と利権を追い求める国の原子力政策のもと根拠のない安全神話が吹き込まれ国民は洗脳された。核兵器廃絶を実践しながら原発も同じ核反応であることをすっかり忘れてしまった。

形あるものは必ず何時かは壊れる。絶対安全はあり得ない。日本に限らないが危険な使用済み核燃料の処理法も見出せないままに原発が稼動している。将来に質の悪い危険物を残す。そんなモラルのない無責任な政治があって良いのだろうか?

為さずんばなんぞ成らん!菅さんもこの原子力政策を180度転換するような明確な中長期ビジョンを打ち出すことが出来たらこの国のリーダ−として尊敬されただろう。震災をだしに政争に踊る与野党の党利党略に圧されて辞任を口にしてはもう首相として出来る事は何もないだろう。やっぱりそれだけの器量しか持たなかったのか。

さて次なる首相は誰か?悲しいことに大方の国民にはその顔が見当たらない。そして無党派層だけが増え続ける。

脱原発

東電は今回の原発事故の収束見通しの工程表を6ヶ月乃至9ヶ月と発表した。政府の圧力にそう言わざるを得なかったのだろう。政府としても工程表がなければ復旧計画の策定が出来ないし人心は安定しないのだろう。問題は見通しの根拠である。壊れた4基の原発の冷却系を修復または仮設出来ないかぎり収束はあり得ない。しかし二ヶ月近くを経過した今でも高濃度の放射線のために原発の建屋に人が入ることすら出来ていない。今やっていることは外部から水をかけ続けることだけである。これによって大量の放射能汚染水が溢れ続けその処理に窮している。高レベルの汚染水の量は何十万トンにもなるという。漏れ出した放射能は大気、海水、地表、地下水を汚染し続けるだろう。このままだと原発燃料の大部分がなしくずしに燃え尽きるまで水を掛け続けることになりかねない。最悪の想定は今一度大規模な余震が起こって津波が再び襲ってくることだ。そうなれば原子炉は大爆発を起こし放射能は東日本全体を汚染するだろう。

長い間続いた自民党政権の下で推し進めて来た原子力政策が安全神話を生み人々を洗脳して今日のこの事態を引き起こした。この小さな地震列島日本でそもそも原発が安全に運転出来るのか、あまりに甘い想定で建設が進められて来た結果と言わざるを得ない。事実今回の津波に匹敵する三陸津波は1896,1933年に発生している。それを想定外に置いたのは理解出来ない。中曽根首相の下で通産大臣として原子力政策を進めて来た与謝野現経済財政政策担当大臣はそれでもこの原子力政策は間違いではなかったと反省の色もない。一体彼等の想定はどんな根拠に基づいて行われたのだろう?恐ろしいことに今や日本全国の海岸線に54基もの原発がある。それらは皆福島と同じ危険を抱えている。でも信じられないことにもうすでに自民党の中の原発推進派は原子力政策維持の強化を画策し始めているという。

最近のメディア世論調査によると現在日本で原発の廃止乃至縮小を望む人は約40%だという。残りの60%は現状維持又は拡大ということになる。如何に空虚な安全神話が深く人々に浸透しているか、如何に一度味わった豊かさに人々が虜にされてしまうかを物語る数字である。石原都知事も風や太陽で間に合うわけはない。原発は必要だと公言して憚らない。原発はコストが安いという人もいる。しかし果たしてそうだろうか?今度の事故による巨額の損失、復旧費用、さらに時間、空間および人の生活の喪失を考えれば答えは明白だろう。

飛行機が発明された時それは危険な乗り物だった。しかしそれを乗り越えていまは誰もがそれに乗る時代になったと言う人がいる。しかしいったんコントロールを失えば原子力は危険の規模が飛行機事故とは比べようがないほど大きい。被害は局地的でなく国境を越えて地球規模で拡がり、しかも影響は何十年も続く。チェルノブイリ、スリーマイルス島、それに今度の福島の事故がそれを教えている。

間違いなく今世界は核兵器廃絶を超えて脱原発の時代を迎えている。それを可能にするのは太陽光、バイオマス、水力、風力、潮汐、地熱など再生可能の自然エネルギーの利用技術の開発である。例えば太陽エネルギーについて考えてみよう。。コストや効率の問題は残されているがすでに実用化の時代に入っている。光合成の名で知られるように植物は太陽光を使って年間2000億トンもの炭水化物を効率的に作っている。そのうちの80%は最も原始的な生物、海洋プランクトンによるものだという。彼らは太陽光のエネルギーを使って水分子から電子を引き抜いているのだ。35億年も前に生まれた単細胞の生物が作った仕掛けが人間に出来ないことがあろうか。地球の生物は太陽のエネルギーに依存して生まれ進化して来た。将来もその道を辿るのが自然である。自然に優しいとはそういうことだと思う。

今野党のみならず与党の中でも政争がらみで大震災への菅政権の対応の遅さ、不手際を非難する声が大きい。単に批判することは易しい。未曾有の災害に迅速適切に対処することは難しい。しかしこの困難を乗り越えて安心安全な国家を根底から作り直すには脱原発が前提とならねばならないだろう。現政権には大災害を転じて大きな改革への好機と捉える気迫を見せてもらいたい。自民党を始めとする各野党には自分達の推し進めてきた原子力政策が間違っていた事をいさぎよく認めそれに代る政策を打ち出して現政権を批判してもらいたい。

国家的危機と政治家

今週のお題東北地方太平洋沖地震

菅首相から自民党の谷垣総裁に今度の大震災に対処するため入閣の要請がなされた。谷垣さんは「唐突な話だ。政策協定もなく入閣出来るわけがない。責任を取らされるのはごめんだ。」としてこれを断ったという。公明党の山口代表も及び腰だった。

この国家的危機に超党派で対応しようという考えは野党の政治家には無いのだろうか?政策協定というが今この大災害に対する危機対策に優先する政策が他にあるだろうか?こども手当だとかマニフェストだとか言っている場合ではない。菅政権の支持率は低いし国民の評価は必ずしも高いわけではない。でも今すべきことは現首相のもと日本中が心を合わせて総力を結集して未曾有の国難を乗り越えることだろう。こんな時に党利党略しか考えられないとは情けない。

石原都知事の「天罰」発言は論外だが、「日本人アイデンティティは我欲だ。津波で洗い流せ」の「日本人」は「日本の政治家」に置き換えるべきだろう。

鳩山さんは政治家を辞めなさい

鳩山さんてこういう人だったのか。首相時代、見境もなく普天間国外県外移転を唱えて問題をこじらせ、自ら決めた期限が来ると「勉強すればするほど抑止力の重要性を知った」という迷言をもって沖縄の人達を失意のどん底に突き落とした。格好のいいことは言うが確信と実行力がなく出来なければ恥ずかしげもなく無責任に謝ってすます。これは幼児性とも言える。この人はこのように育てられたのだろう。なにしろご母堂から毎月何千万円のお小遣いをもらいながらまったく知らなかったと言うのだから仕方がない。これは言い訳ではなく本当だったのだろうと私は思う。

たしか総理を辞する時「今期かぎりでもう政治家をやめる」と言ったと思うのだが、今度の民主党代表選でのみっともない取り持ち騒ぎはなんだろう。この人は理想家だと思っていたがとんでもない食わせ者だった。菅首相を支持するとずっと言っておきながら、小沢さんが立つとみるや小沢支持にころりと変った。その理由が「小沢さんのおかげで総理大臣にまでさせて頂いた。いま恩を返すのは当然」というのだ。軽井沢の別荘で派手な打ち上げ会までやった。そこには国民のための政治という発想は皆無である。あるのは旧態依然自民党と同じ政権たらい回し思想である。

鳩山さんは民主党の分裂を恐れて夢よもう一度一年前の原点に帰るべきだとトロイカ方式をいまさらのように持ち出したがその内容が人事権限の談合だと知ると菅さんはきっぱりと断ったそうだ。この鳩山さんの行動は見苦しい。いまさらトロイカとはよくも言ったものだ。鳩山さんは政治家を辞めるはずではなかったのか?もう三頭目の馬は要らない。持論の友愛は政界でなくて社交界ででも使ったらよかろう。会談が決裂した日の鳩山さんの悲しみに打ちひしがれた表情はさながらピエロのようだった。でもこれも計算上の演出かもしれない。

鳩山さんの支持を得て小沢さんが代表選出馬を決めた。国の経済が危機的なこの時に選挙などと批判する向きもあるがこれは総理大臣を決める選挙である。この選挙の意味は大きい。是非二人のオープンな正々堂々たる政策論争を聞きたい。そして議員や党員の一人ひとりが義理や保身に捉われず日本のリーダーを公正に判断してもらいたい。それでこそクリーンな民主党と言えるだろう。選挙後の挙党一致体制については両者合意しているという。当然のことながら是非そう願いたいものだ。

鳩山さんには静かにしていてもらいたい。小沢さんには先ず懸案の政治とカネの説明をしてもらいたい。検察が不起訴にしたのだから不正はないという形式論でなく、なぜ大金を集めて転がす必要があったのかカネは何処から集め何に使ったのか国民は知りたがっている。現に公設秘書を含む3人が逮捕されている。それに検察審査会もまだクリアしたわけではない。小沢さんに責任はないのか?小沢さんはゴッドファーザーで普段人前で政策を語るといった場面を見ることが少ない。この機会に彼のすべてをオープンにされることは大変良い事である。

すでに一昨日から菅、小沢の厳しい論戦が公開で始まっている。時間も十分残されているので徹底的な討論を期待している。日本の政治にもある変化が起こりつつあることを実感する。

菅さんは何がしたいのか

菅総理の影が薄い。参院選の前に寝ぼけたように自民党の谷垣さんに追従するような形で消費税10%を口走って選挙に惨敗した。もっとも選挙の大敗の原因はこれだけではない。過去10ヶ月の民主政権の迷走に対する批判と受け止めるべきだろう。脱官僚、政治主導の根幹となるべき国家戦略室を作りながら何の機能も果たさなかった。菅さんは一体何をしていたのだろう?鳩山さんの普天間問題の渦中にあって副総理として何の発言もしなかった。そして総理大臣になるやすぐに辺野古案をアメリカに確約した。

民主党は敗れたとは言え獲得投票総数でははるかに自民党を上回っている。国民は自民党政治に戻ることを決して望んでいるわけではない。目立つのはみんなの党の躍進だが渡辺さんのアジェンダと称するものは脱官僚を軸とした去年の衆院選民主党が言っていたことに似ている。お株を盗られたようだ。実行力のない民主党、そんなところが国民に見透かされたのだろう。過半数を与えるには頼りない。ここで野党にたずなを引き締めてもらおうというのが今回の選挙で国民が下した審判である。

菅さんが総理になってスローガンとした「最小不幸社会」はその気持ちは分からぬではないがどこか消極的で自信のない表現にみえる。もっと国民に自信と勇気を与えるものであってほしい。「奇兵隊」などと言われても戸惑う。もっと具体的に率直で大胆なリーダーシップを発揮してほしい。

最近、伸子夫人が「あなたが総理になって、いったい日本の何が変わるの」という本を出版したらしい。まだ読んでないが、菅さん自身も「怖くてまだ読んでない」のだそうだ。



【追記】(7月24日)早速伸子夫人の本を取り寄せて読んだ。家庭内野党と聞いていたがどうして「家庭内アドバイザー」と言うに相応しい。総理大臣の人となりを総理夫人がこれほどあからさまに公にすることは珍しい。夫人はあとがきでこう述べている。”菅に世間の空気を送り込み、裸の王様にしないのが私の役目のひとつでしょうか。これからも日本一うるさい有権者であり続けたいと思います。” 菅さんが以前に増して身近になった。この本が参院選前に出ていたら選挙の結果は少し違ったかも知れない。ただ気になるのは逆説的なタイトルで、これではこの本を読まない人にはマイナスの印象を与えるかもしれない。

あなたが総理になって、いったい日本の何が変わるの (幻冬舎新書)

あなたが総理になって、いったい日本の何が変わるの (幻冬舎新書)

地に墜ちた宇宙人

昨年8月、鳩山さんは「私の政治哲学」と題する小論文を彼のホームページに載せた。その論文は次の言葉で締め括られている。

今日においては「EUの父」と讃えられるクーデンホフ・カレルギーが、八十五年前に『汎ヨーロッパ』を刊行した時の言葉がある。彼は言った。「すべての偉大な歴史的出来事は、ユートピアとして始まり、現実として終わった」、そして、「一つの考えがユートピアにとどまるか、現実となるかは、それを信じる人間の数と実行力にかかっている」と。

現実はユートピアの実現ははかなく消え僅か7ヶ月で総理辞任となった。

甘い期待は裏切られた。やっぱりただの世襲お金持ちのお坊ちゃんだったのか。「宇宙人」という言葉に新しい政治への期待と夢を托した人は少なくなかっただろうが、真面目で誠実なこの人は現実離れした世間知らずに過ぎなかったようだ。理想主義はかっこよいが政治家は義と策を持たねばならない。普天間問題に象徴されるように問題の解析、方策もないまま限られた情報を頼りに無責任な発言を口にした。その稚拙さが日米関係をおかしくし、沖縄の人々に絶望と不信を植え付けてしまった。「学べば学ぶほど抑止力の必要性を知った」と悪びれる事もなく謝るのだがこれは首相の言うべき言葉ではない。勉強不足を謝ってすむ問題ではないこともこの人は分かってないらしい。宇宙人は他愛もなく地に墜ちてしまった。でも小沢さんに操られて来た鳩山さんは最後に一つだけ良いことをした。「私は辞めますが貴方も幹事長を辞めてください」と小沢さんを辞めさせたことだ。

新しい首相は久々庶民出身の菅さんだがこの人に期待するのは政治とカネの問題、はっきりと言えば隠然たる小沢さんの影響力からの脱却である。その時に民主党は始めて新生したと言えるだろう。「小沢さんにはしばらく静かにしていてもらいたい。それがご本人にとっても民主党にとっても日本にとっても良いことだ」首相指名にあたって菅さんがこう発言したことは注目に値する。「しばらく」というのがちょっと気掛かりではあるが・・

人類が消えた世界

ありそうもないことだが仮にいまヒトに特異性を持つ強毒のウイルスが発生して世界の人間が絶滅してしまったらこの地球はどうなるだろうか?著者アラン・ワイズマンは奇抜な発想で地球の自然と人間の関わりを豊富な科学的データの調査と大胆な予測を交えて考察する。

人類消滅から数日後、排水機能が麻痺した大都市の地下鉄は水没する。2〜3年後には下水管やガス管などが次々と破裂し、亀裂の入った舗装道路から草木が生えて来る。5〜20年後には木造住宅、つづいてオフィスビルが崩れ始める。落雷で枯れ草や枯れ枝に引火すれば街はまたたく間に炎に包まれるだろう。コントロールを失った石油プラントは何時かは爆発するだろう。数百年後橋は落ち大都市も森に覆われ野生動物や鳥たちの棲家となっているだろう。農地は森になるだろう。人間の重圧から開放された世界に野生動植物が繁栄するのは間違いない。

しかし人間の作ったもので毀れないものもある。プラスチックだ。紫外線で劣化はするが粉々に小さな粒になってもプラスチックは分解されない。将来分解するような微生物が現れるかどうかは予想出来ない。微細なプラスチックの粒子は食物連鎖によってプランクトンを含む多くの生物に取り込まれ有害な影響を与え続けるだろう。

人類の残した3万発の核弾頭はそれ自身で爆発することはないだろうが爆弾の外殻はやがて腐食し放射能を帯びた内容物が風雨に晒される事になる。プルトニウム半減期は24,110年なので自然のバックグラウンドまで落ちるまで25万年もかかることになる。この他に441箇所の原子力発電所の残骸もあるのだ。

人間の活動による温暖化をはじめとする地球環境の悪化についてはいま様々な防止策が議論されているが功利的政治的な議論にとどまっている。著者のワイズマンはもしも人間が忽然といなくなったらという大胆な仮定を設定することで人間が地球に対してどんなに負荷をかけているか、地球は今後どんな運命をたどるのかについて新たな切り口で示したと言えるだろう。

自然とは何か?人間とは、生命とは何か?時間とは何か?そんな哲学的な命題にも触れる何かをふと考えさせる。次の祈りにも似たフレーズでこの書は終っている。

電波は進み続ける光と同じように消えることがない。

電波と同じく、私たちの脳が発した信号は進み続けるはずだ。だが、どこへむかって?宇宙の構造は膨張する泡のようなものだといまは言われているが、それはまだ一つの理論にすぎない。ひどく謎めいた宇宙のひずみのことを思えば、私たちの思考の波がやがて元の場所に戻ってくる道を見つけると考えてもあながち不合理ではないかもしれない。私たちの記憶が宇宙の電波に乗って里帰りし、いとしい地球の上をさまようことがないとは言い切れない。


原題 The world without us 著者 Alan Weisman

人類が消えた世界

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人類が消えた世界 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

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